異国情緒豊かな街長崎 この街の美しい夜景は世界新三大夜景に選ばれました。

長崎とキリスト教 歴史と史跡

長崎、かつてこの地は日本の小ローマと呼ばれた。

 長崎の港は1570年に開港しました。それから450年弱。歴史に翻弄されながら今に至ります。
 このエキゾチックな地域の歴史の一端をご紹介します。

 この地域は当初キリスト教徒が繁栄し日本の小ローマと呼ばれた程でした。現在その遺跡を辿るのは困難な事です。
 徳川幕府と大村藩は、苛烈で執拗な弾圧を続けキリスト教が残した痕跡を残さず破壊しました。
 その後、原子爆弾の破壊を受け多くの資料をなくしています。奇跡的に残された遺跡と教会等の史跡、殉教地等を、歴史とともにご紹介します。

 長崎には数多くの教会が存在します。その教会の多くは潜伏していたキリスト教徒やその子孫の人々が信仰の拠り所として貧しい生活を送りながら建てた教会です。その歴史的背景を理解していただく事でこの地域の魅力を伝えたいと思っています。

長崎の代表的な教会

「国宝 大浦天主堂」
 現存する日本最古のカトリック教会。
潜伏していたキリシタンが「バスチャンの予言」として伝えられる予言を信じ待ち望みながら予言が現実となった司祭の来航、そしてこの教会が建設されました。浦上で潜伏するキリシタンはこの教会を訪れそこにカトリック司祭の存在と聖母マリア像を確認しカトリック教会に復帰する事を得ました。
この事はプチジャン神父によって詳細にカトリック世界に伝えられ、当時の教皇ピオ九世が「東洋の奇蹟」と呼んだ「信徒発見」の舞台となりました。

「浦上天主堂」
 長崎の歴史。その中を信仰を守り通し多くの苦難の果てに存在する天主堂です。
 建物自体はそれほど歴史を刻むものではありません。
 しかし、およそ259年に及ぶ禁教と迫害に耐え、明治政府の流配による荒廃の後の赤貧の中で30年をかけて完成した旧天主堂。そして、この浦上教区の中で炸裂した原子爆弾は、多くの信徒の命を奪いすべての努力を焼き尽くし破壊しました。
 焦土の中で、困難な生活を送りながら信徒の人々は天主堂の再建を願いそして果たしました。
 この揺るぎない精神が形として存在する天主堂です。

「重要文化財 出津教会」
 フランスの貴族の次男として生まれ多くの知識と技術を身につけ、死を賭して日本に来たマルコ・マリ・ド・ロ神父。そして、その半生をこの地の人々に捧げた愛の人です。その活動は多岐に渡りました。この教会堂は日本で二番目に古い教会です。彼が建設の為の資金、設計、監修し現場管理したこの教会堂は出津の地にあわせ高さを抑えた独特の形になっています。

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